仏道は人人の脚跟下なり

先日、機会を得て初めて永平寺を訪れました。
スティーブ・ジョブズやエヴァン・ウィリアムズなど時代の寵児達が傾倒したことから、禅は今やブームを超えて広く世界中に浸透しつつある思想です。
思想というと、よくわからない形而下の高尚なことと、と難しく考えてしまうかもしれませんが、永平寺の開祖・道元の思想はそうではありません。
「仏道は人人の脚跟下なり」
=仏道は私達の一人一人の足元にある
道元禅師のこの言葉は、つまり仏道とは遠い彼方の深遠な哲理などではなく、私たちの最も身近にある毎日の生活、日々の細部にあるのだと言っています。
壮大な何かを成すことではなく、日々の小さなことを丁寧に大切に生きることこそが仏道である、と。
私たちの小さな日常を振り返ってみましょう。
朝起きたら顔を洗い、寝具を整え、身なりを整え、食事の支度をし、朝食を頂く。食器を片付け、掃除をする。
そんな一つ一つを丁寧に行うことこそが、実は仏道なのです。
(とここまで書いて、先日観たヴィム・ヴェンダースの最新作『Perfect Days』を思い出しました。まさに丁寧な生活の繰り返しこそが仏道であり、完璧な調和をもたらすものであるということ。時々忍び込む悲しみの感情に乱される、乱調の美を含めての調和。)
道元禅師の代表的な著書は『正法眼蔵』ですが、同じくらい重要な『典座教訓』と『赴粥飯法』という食に関する著作があります。
食材にも仏性が宿っており、その命に感謝を込めて丁寧に調理し、その仏性を体内に取り込む。
食事を作るという行為の中、そして食事をする行為の中に仏道修行があるのです。
道元禅師は、食事という行為を仏道の実践という次元にまで高めました。
食事は体を養うのみならず、精神をも養う行為。
私達は食事をせずに生きることはできない。
毎日のこの行為をおそろかにして生きることほど愚かなことはありません。
さて、現代人の私達の大多数が残念ながらこの食をいい加減に扱っています。
時間がないからと食事を抜いたり、コンビニで買って済ましてはいませんか?
 
あなたが食事を後回しにしてまで優先しているものは何ですか?
それは大体においてつまらないものです。
もし1時間後に死ぬとわかったら、絶対やらないことでしょう。
仕事で忙しかろうが、食事の時間は決して削るところではありません。
生きるために命を削るのは、本末転倒。
心を落ち着け、目の前の食材に感謝を捧げながらその命を頂く。
「頂きます」をそんな風に必ず唱えて食事をする習慣をつけたいものです。