両性具有への回帰願望

物心ついた頃から中性的な人がどうしようもなく好きだった。
男っぽくない男性、女っぽくない女性。
人が中性的な存在に憧れるのは、両性具有は完璧な存在として理想形だからだろう。
プラトンの『饗宴’』では、アンドロギュヌスは球体に両腕・両脚・頭二つが生えているといった異形として描写されていて、理想どころかグロテスクでしかなかったけれど、陰陽太極図を眺めていたらふとこれこそがアンドロギュヌスの肖像画だという気がしてきた。
完璧な円はアンドロギュヌスであり、その中に陰と陽、女性性と男性性の配分率が無限に存在する。
そして互いに相対する性質を内包する。
脳みそも体もガチマッチョ男子から妖艶ホルモンダダ漏れ女子までの両極間には、あらゆる性の個性がグラデーションとなって存在し、その中でLGBTQはマイノリティどころかセンターポジションに位置する。
陽中の陽のごとく男性は女性性を内包し、陰中の陽のごとく女性は男性性を内包し、アンドロギュヌスはその全てを内包する。
だから人は中性的な存在に憧れるのだ。
<その存在はあまりに完璧であったため、神によって男女という二つの性に引き裂かれることになった。
その原初の姿に還ろうとして男女がかつて神に引き離された半身を探し、惹かれ合い、求め合う行為を『エロス』と呼ぶ>
というプラトンの人間球体説は、陰陽太極図を眺めていると実に腑に落ちるのである。
この美しいアンドロギュヌスは、ドイツの若きフォトグラファー、Anna Rommel。
(画像はご本人のインスタグラムから拝借)
彼女のことを世間ではXジェンダー、クィア、シスジェンダー、ノンバイナリーなどと呼ぶのだろうが、呼び方は便宜上であってさしたる意味はない。
そのくらいに「男性」「女性」というレベルを貼るのも単なる便宜上だと捉えることにすれば、この世界はとても居心地の良い場所になることだろう。
好きな相手が同性だろうが異性だろうがさしたる違いはないのだ、という社会になりますように。
リボンやレースが大好きな男子が揶揄われることなく装えますように。
スカートを履くのが苦痛な女子が学ランを選べますように。
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